母が亡くなった 2016年12月3日

 

2016123日、病院に入院して一ヶ月で、96歳の母が亡くなった。

 

 

 

ショートスティ先で、鼻血が出たとの事で緊急入院したのは113

 

兄からの電話で母が入院した事を聞き、病院に駆けつけると母はベッドに寝ていましたが、以外に元気そうで安心した。

 

鼻血の検査入院なのか?肺炎になるかもなんて…よくわからないが?

 

心臓もあまり良くないとか…

 

その日病院の昼食時、ベッドに食事が運ばれて来た

 

母が好みそうなおかずだったが、手元がおぼつかない様子だったので、私が食べさせた。

 

ゆっくりだが、半分以上もよく食べたので安心して帰る。

 

 

 

二日後、孫二人を連れて夫婦で病室に見舞いに行くと母の様態が急変していて、苦しそうだったのに驚く。

 

気になりながらも、とりあえず病室を出て、もう一度夜一人で母を見舞いに行った。

 

やはり苦しそうな様子は昼と変わりなし

 

看護師になんとか、母の体を楽にしてあげられないかを訊いてみるが、先生の処方箋がないと、できないとか…

 

母はどうなったのか、食事も拒否し、水分のみとなっている。

 

 

 

三年前94歳の父の死も、この病院だった。

 

たまたま入院中病院内で、父が一人でトイレに行き、転倒し、鼻の骨が折れた。

 

私が見に行った時は、父はベッドに縛り付けられていたのだった。

 

病室に行くと、手を動かさないようにとの病院の配慮で縛りつけられていたのだが、

 

その時の父は「手の紐を解いてくれ」と私に苦しそうに懇願した。

 

あまりにも可哀想なので私は縛ってある紐を解いた記憶がある。

 

すると看護師が、「鼻の固定が外れる」と言って、また父の手を縛って去っていった。

 

居たたまれなくなって、病院を後にしたが、その後その入院先で父は死んでしまった。

 

父はベッドに手を縛られて苦しかったのだ

 

死んでしまうなら、手の紐を解くべきだったと今更思う。

 

 

 

今度は96歳の母

 

その後点滴のみとなってしまった。

 

死ぬ前の苦しみは、させたくない。

 

その日から毎晩母の病室を見舞った。

 

ドライブに行った思い出や楽しい事だけをよく話して聞かせた。

 

いつも「大丈夫、痛い事はさせないからね」と言って母を安心させるように努めた。

 

その間、若い男の看護師二人が母のオムツを替えに来る事がある。

 

若い男の子がオムツ交換なんて、初めて知ったが、オムツを替えた後、母はなぜか顔をしかめ、様子が苦しそうに見える。

 

毎晩、帰る時は「明日も来るね」と約束して帰った。

 

 

 

点滴のみで三週間が経った。

 

担当医は、兄と兄嫁と私に、母の〈胃ろう〉を勧めたが、母の気持ちを思うと、そんな事は絶対したくない。

 

「もう一度頑張ってみる?」と母に尋ねた時、顔を歪めて嫌と応えたのでした。

 

しかし、その担当医との話し合いの二日後に母は亡くなってしまった。

 

午前中まで、様態は変わらなかったのだが、午後オムツ替えの後、心臓が急変したそうだ。

 

ひょっとすると、母は若い男の看護師二人にオムツ交換されるのが嫌だったのかもしれない…だからオムツ替えの後、弱っていた心臓が苦しくなったのかもしれない…と思った。

 

 

 

トイレも食事も出来なくなっても、生きながらえる事がどんなに苦しい事か…もし自分だったら絶対死を選ぶだろうと感じた。

 

 

 

話は変わりますが、

 

三年前父が亡くなった時、その翌年一月に、生前父の一番仲が良かった従妹が亡くなりました。

 

私は、その仲が良かった父の従妹の葬儀に出席して、帰り際、菊の花を一輪もらって来たのでした。

 

硝子の花瓶に生けた菊を見ながら『この菊が枯れる時、おばちゃんとお別れだね』と心の中で呟いた想いがあります。

 

ところが、その時の葬式に貰ってきた菊が、三年経って今も枯れないで我が家に根付いていたのです。

 

それも、花瓶に入ったままの状態で、根が花瓶の底にはびこって、茎から新芽が出ている状態の菊を、どうしたらいいのか?

 

根を土に埋めたほうがいいかも、と考えたが、

 

やはり硝子の花瓶に入れたままの状態で置いてありました。

 

 

126日は母のお葬式が行われました。

 

 

火葬場で骨にしてもらう間、たまたま、私が座った場所に亡くなった父の従妹の息子さんと向い合せになり、

 

何気にその菊の花の話をして、

「あなたのお母さんの葬式の時頂いた菊が我が家の花瓶に根付いているから持って帰って」とお願いしました。

 

息子さんも、菊の話を聞き驚いた様子で、きっとお母さんの菊だと思ったのでしょう。

 

快く我が家の花瓶に根付いた菊を持ち帰ってくれました。

 

 

父との仲の良かった従妹の息子さんが自分の家に菊を持ち帰ったのは、丁度、母のお葬式の日でした。

 

 

母が天国の父の元に行った日、

父の従妹の菊を私の手元から息子さんに返したのでしょうか…

 

 

 

その後

 

 

母の葬儀の後、我が家の庭をぼんやり眺めていると、塊のような赤い実がなっているのが目につきました。

 

よく見ると万年青(オモト)です

 

植えてもいないのに、自然に生えている万年青に赤い実がなっていて、初めて気付きました。

 

母が生前、お正月の生け花として毎年私にくれた、万年青

 

なぜか、我が家の庭に生えているのでした。

 

 

 

万年青の横には榊(サカキ)の木があり、以前から我が家で育っています。

 

 

多分、鳥が庭に来て、種を落として育った榊と万年青です。

 

 

きっと我が家の庭にある榊の木は父、万年青は母、私はそう思うと初めて涙が出た。

 

 

 

 

 

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死の尊厳

 

 

 

母の栄養補給が、点滴のみとなって、生きる手段として医者から、胃婁(いろう)を勧められた時、家族の対応はそれぞれ違う。

 

こんな時、どうすればよいのだろう。

 

立場によって、人はそれぞれ考え方も違って来るのは当然かもしれないが、

 

 

 

医者としては、命を助ける立場で胃婁を勧める

 

 

 

兄嫁はお義母さんの事を思って医者が勧める処置として、胃婁処置も仕方ないのではないかとの解釈もあり、兄も同感という

 

 

 

姪は、祖母の死は悲しいので、胃婁でもいいから生きていてほしいと願うらしい

 

 

 

母の娘である私は、動けなくなった母の気持ちを思うと、我慢できない辛さを与える事に胃婁による延命は拷問とさえ感じ、とても承諾できない。

 

ベッドに寝ている本人である母に「もう一度、がんばってみるか?」と尋ねたら、嫌との反応を示し、当然だろうと思った。

 

 

 

人の命を考える時、やはり当の本人がどう思うかが肝心な事であり、

 

本人の為との言葉が偽善にならないように強く願う。

 

 

 

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